2013年11月15日金曜日

工藤静香「しずか」



おニャン子の中では、やはりNo.1の逸材と言わざるを得ません。
悪い大人?の毒牙に掛からず芸能生活を送ったのは貴重でした。
(っていうかやつ等は年貢を納めてしまっていましたからね)

本名の名前からして素晴らしく
好みはあるでしょうが風貌と
見事な歌唱力で頭角を現しました。

グループ内の別ユニットでの話題性にも助けられ
ソロとして充分やっていけたのは当然でしょう。

あわせて
後の話ですが
画家として二科展での入選ですから
天は二物を与えずという諺は
何のそのって感じです。

2000年に入り
なんと、SMAPの木村拓哉と電撃結婚・妊娠(このパターン結構多いですね)ですから
アイドル史上トップの勝ち組と命名します。
(現在の本名は木村静香ですから名前は地味になりました・・・)

ただ最近の老化?振りはすさまじく
劣化??なんて陰口を叩かれる始末です。

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2013年9月17日火曜日

石川秀美「やくまる」



花の82年組、ヤックン繋がりで続けます。

同期の中では地味な存在でしたが
思い出してみると結構ヒット曲があります。

当時の女性アイドル歌手は往往にしてそうですが
ミニスカートにて美脚を売りにしており
その中でも特に印象的だった気がします。

ただ
周りが余りにも個性的過ぎて
セールス的にはいまいちだったようです。

ご存知の通り
1980年代の終焉と共に
噂のカレと電撃結婚・妊娠にて引退!ですから
衝撃的な芸能生活の幕引きでした。
(この辺が中森明菜と違う所以です)

最近リバイバルにてチラホラ見掛ける訳ですが
結構幸せそうで人生なんて判らないものです。
(結果オーライ!)

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2013年8月7日水曜日

シブがき隊「仙八トリオ」



当時はジャニーズ事務所が男性アイドルを輩出する王道でしたが
このグループは一風変わっていたのかも知れません。

社長さまのセンスにはいつも驚かされるのですが
このネーミングも?です。

2年B組仙八先生に出演した3名
薬丸裕英
本木雅弘
布川敏和
にて構成され
女性中心の花の82年組に花を添えました。

日本レコード大賞の最優秀新人賞受賞、紅白歌合戦出場を果たしました。
(まあ事務所の力だと思いますが)

そこそこ活躍しましたが1988年に解散(解隊)して
各々事務所からも離れました。

歯に衣着せぬ言動で乱暴な印象が強いですが
ひとえにリーダたる彼?の印象の賜物でしょう。

目つきの悪さはアイドルとは思えません。
当時を知っている輩は
はなまるマーケットの司会にてニヤニヤしている姿に
違和感を覚えざるを得ません。

3人の中では一番風貌がまともだった彼??は俳優として売り出し
話題を振り撒いたり、結婚にて人生の年輪を重ね
存在感を保っています。

残りの彼???は


というオチにて締めくくります。

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2013年6月18日火曜日

おニャン子クラブ「おニャン子クラブ」



オールナイトフジでのオールナイターズに端を発し
本グループで構築したシステムにてAKBまで創造した秋元康は
アイドルの歴史上やはり天才と言わざるを得ません。

詳細は別ブログにて・・・


まあ、当時は大きな子ども扱いされていた女子高生をアイドルに仕立ててしまう訳ですから
開いた口が塞がりません。

とはいえ、美男美女?の偶像(漢字で書くと意味不明)より身近な存在に安心感を感じる
輩の気持ちをがっちり摑んで一世を風靡しました。

・一人ひとりでは大したこと無いタレントを多数揃え飽きさせない
・メンバーを追加・削除することによりグループを陳腐化させない
・メンバーの成長にてグループの価値を上昇させる

見事!です。

ただ
個人的にはあまり注目していた訳ではないので推しメン(こんな言葉は当時存在しませんが)
はありません。

しかし
多人数の中からダイヤモンドの原石を見つけ出したような
高井麻巳子
河合その子

は悪の手?に渡り、人妻になってしまう運命を誰が想像したでしょうか。
(ご存じない方は調べてみて下さい)

結婚したのでマシな気もしますがファンには許せない事件だったでしょう。

ある意味いい時代だったって事で納得しましよう。


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2013年4月28日日曜日

中森明菜「明菜」



同時期にて
前回紹介した松田聖子と双璧を成す方と言えるでしょう。

陽と陰、太陽と月なんていう例えがしっくりきます。

デビュー当時から落ちついた雰囲気でしたが
キャッチフレーズが「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」ですから
先見の明がなかったと言わざるを得ません。

童顔ですが歌唱力には定評があり(当時のアイドル歌手は結構マトモでしたが)
意味深な歌詞にて独特のジャンルを産み出しました。

山口百恵の雰囲気に近かった気がします。

ヒット曲を重ね、各賞を総なめにし順風満帆な芸能生活を送っていましたが
感情移入が激しいアーティスティックな性格が悪い影響を及ぼし
不安定な精神状態になることも多かったと聞きます。

当時付き合っていたマッチの自宅マンションにて自殺未遂事件を起こし
ユッコ事件の再現と心配しましたが事なきを得たようです。

90年代に入り
やはりブームの落ち着きにより活動は縮小していきます。
事務所とのトラブルも重なり不幸な時期が続き
結局、現在の活動休止状態という結末です。

ただ
このまま消えてしまうのは惜しい訳で
人生の年輪を重ねた姿にて復活して頂きたい!
と思っている輩は少なくないと思います。

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2013年3月20日水曜日

松田聖子「聖子ちゃん」



多分
この方が本ブログを代表するのでしょう。

1980年4月にデビューされ(何故だか敬語?)新人賞を独占!
1年目から発売するシングルがチャートで1位を獲得する偉業がスタートしました。

当時、道を歩けば聖子ちゃんカットのオンパレード(顔は別人ですが)
ぶりっ子というスタイルを生み出した(単なる素)のには頭が下がります。

皆さんご存知の通りの活躍を続けますが、プライベートの話題提供にも事欠くことなく
素人からの憧れの君だった郷ひろみと交際の後に破局!
直後になんと神田正輝と結婚!!ですから
お見事としか言うことが出来ません。

ただ、この頃に関してのきな臭い噂の真実は関係者のみ知るのでしょうが
ある意味何でもアリだった時代を映し出している気がします。
(以前紹介した岡田有希子がらみ・・・)

ただ
女性アイドルが結婚すれば当然男性ファンの興味は醒める訳で
80年代の終焉と共に人気は落ち着いていくのでした。

しかし、その後も地道な活動を続け
出産、二度に亘る離婚などなど永遠のアイドルと言えるかもしれません。

未だにカラオケに行くと聖子ちゃんを歌う輩が居なくならないのは
青春時代に受けた洗礼から抜けることは出来ない宿命なのです。

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2013年1月27日日曜日

近藤 真彦「マッチ」



今回は男性の紹介です。

いまや、ジャニーズ事務所の重鎮として君臨されているようですが
デビュー当時はやんちゃの代名詞だったのが信じられません。

たのきんトリオとしてデビューした訳ですが、今考えるとルックスが一番マトモだった?と言えます。

女性がファンなのは当然ですが、男性諸氏にも影響を与え
髪形のマッチカットはどれだけ流行したのでしょう。

パターンは複数ありますが、斜めにまっすぐ切ったもみ上げ・サイドは刈り上げて前髪は垂らす・・・
まあ詳細は画像にてご確認ください。

青山通りにあった行きつけの古場美容室まで通った輩も少なくないでしょう。

車好きの趣味が興してレースの世界に入ったのはある意味立派なことです。
現在、生計の糧はそちらかも知れません。

女性遍歴は結構地味というか真面目のようで、中森明菜と結婚した人生を見たかった気がします。

大晦日恒例のジャニーズカウントダウンに、高齢にて辞退する日がいつ来るか
心配でなりません。

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